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 Keywords & Topics No2

12.シリコンバレー誕生の地(ヒューレット・パッカード社発祥の地)


  ~Tomorrow's Company群の始まり~


 スタンフォード大学は1885年サンフランシスコ近くに設立された私立の「田舎大学」に過ぎなかった。この大学の若きフレディリック・ターマン教授は優秀な卒業生が西海岸を離れ東部の有名企業に就職して才能が流出するばかりであると憂いていた。

 ターマン教授は優秀な学生を説得して、大学の周辺地域で事業を興させようと思いつく。そこに1912年生まれのディビット・パッカードと一つ違いの13年生まれのウイリアム・ヒューレットはターマン教授に洗脳され、卒業したら二人で事業を興すことを決意する。

 数年後に、ふたり揃って懸案の事業計画をスタートさせた。その場所が大学の近くのパロ・アルトのアディソン街367番地の住居兼事務所である。(下記の写真の場所)。ここは2階建てのこじんまりした一軒家で、新婚のパッカード夫妻が母屋に住み、独身だったヒューレットは裏手の納屋で暮らすことになった。
 
 1939年1月にふたりは正式にパートナーとしての契約を交わす。ターマン教授はふたりのの事業のために538ドルを貸し与えた。
 ヒューレットとパッカードの頭の中には、すでにいくつかの構想はあったとはいえ、製品は何一つなかった。今日は何もないけれど、明日に期待する「トウモロー・カンパニー」(明日の会社)である。

 現在は世界有数のハイテク企業に成長しているHP社は、このありふれた二階家からはじまった。社名を決めるときにはコインを投げ合って、どちらの名前を先にするを決めた。ヒューレットが勝ったので彼の名前を先にして、ヒューレット・パッカード社(HP)に決まった話は有名である。

  <2008年10月5日 小生が訪問し撮影した州史跡の記念碑>

   静かな古典的な郊外住宅地域にひっそりと記念碑が建てられている。



          

 Birthplace of "Silicon Valley"



This garage is the birthplace of the world’s first high-technology region "Silicon Valley."

The idea for such a region originated with Dr Frederick Terman, a Stanford University

professor who encouraged his students to start up their own electoronics companies in the

area instead of joining established firm in the east. The first two students to follow his advice

were William R. Hewlett and David Packard, who in 1938 began developing ther first product,

AN AUDIO OSCILLATOR, in this garage.

California Registered Historical Landmark No 976

Plaque Placed by The State Department of Parks and Recreation in Coo
peration with Hewlett-

Packard Company, May 19,1989.





  <正面奥のガレージがHP社発祥の事務所>
        ~David Packard's Garage~




13.War for Talent(人材獲得をめぐる争奪戦)

 
 ・学歴ではなく、どんな経験をし、「何ができるか」が問題。一流大学卒、so what?
 ・次の三つの発想を持った革新的なイノベーターが人材の要件(拙著前掲P15、77参照)
世の中は、企業はこのような人材を求めて激しい争奪戦を静かに展開している。

①Radical発想:”物事の本質”を常に探究するスタンス
②課題発掘・課題解決マインド:課題・問題は”ある”のではなく、”探し、発掘する”ものである。
③三つのマインド:オープンマインド、タフマインド、テンダーマインド


14. Something of Everything, Everything of Something

  (トーマス・ハクスレイの言葉)

 新入社員時代に海上保険の教科書の巻頭言で出会った言葉。幅広い知識・教養と奥深い専門知識が必須であることを戒めたもの。いわゆる「T字型人材」への成長が大切である。(前掲 拙著『実戦損保マーケティング戦略』P14参照)
何と、この言葉がスタンフォード大学の講義で最近になって紹介されている。

「スタンフォード大学工学部に属するSTVP(スタンフォード・テクノジー・ベンチャンズ・プログラム)では、教育と研究、そして、世界中の学生や学部、企業家との交流に力をいれています。目指しているのは「T字型の人材」の育成です。
T字型の人材とは、少なくとも一つの専門分野で深い知識を持つと同時に、イノベーションと企業家精神に関する幅い知識を持っていて、異分野の人たちとも積極的に連携して、アイディアを実現できる人たちです*」(スタンフォー大学STVPエクゼクティブ・ディレクター ティナ・シーリグ著『20歳のとき知っておきたかったこと:スタンフォード大学集中講義』(阪急コミュニケーションズ、2010年3月)

*T字型人材のアイディアは、カリフォルニアのパロアルトにある一流のデザイン・コンサルタント会社、IDEOの仲間が最初に教えてくれたとティナ・シーリグは補足している。

しかし、原点は上記のとおり、トーマス・ハクスレイの言葉であり、はるか昔から保険業界では知る人ぞ知る知見でった。


15.One for All, All for One

  ~ 一人は万人のため、万人は一人のため ~

 この言葉は三つの局面で出会ったことばである。

 ①保険の精神そのものである・・・自分のために保険料を支払い、万一事故が起きたとき保険金で救われる。事故がなくても支払った保険料は他の人に役立つ。まさに保険の精神の原点である。

 ②ラクビーの精神そのもである・・・一つのボールをめぐり、フォワードはスクラムを組んで前へ、バックスはパスを廻し前へ。まさに、自分は全員のために、全員は自分のためにプレーする精神。トライしても決してトライした者の成果ではなく、全員の成果物である。だからトライした者はガッツポーズはしない。

 ③フランス人作家アレクサンドル・デュマ作「三銃士」の『一致団結』の言葉・・・何とこの言葉が一致団結という合言葉に使われて いる。この言葉のオリジナルはデュマの「三銃士」の中にあると言われる。フランス語では何というのだろうか?

フランス語が堪能な博識な友人に調べてもらったところ、Tous pour un , un pour tous.ということが判明。


One for All , All for One の「誤訳との」異説


不世出の名選手にして元全日本監督、平尾誠二氏によれば、この言葉の訳は大間違いで伝えられているのだと言う。

平尾氏によれば「ワン・フォー・オール(一人はみんなのために)」の訳は正しいが、「オール・フォー・ワン(みんなは一人のために)」の部分が大いなる誤訳である、というのだ。

「オール・フォー・ワン」の「ワン」とは「一人」という意味ではなく「勝利」を意味する“ Victory ”である、のだという。

つまりは
「一人はみんなのために、みんなは勝利のために」が正しい、ということになる。

どんなに優秀な選手でも一人でできることには限界がある。しかし、チームになれば1+1が3にも5にもなる。これがチームプレイの素晴らしいところだ。

しかし、それには前提条件がある。
それは「一人ひとりが『自立』した大人である」ことが必要なのだ。
つまりは、一人ひとりがきちんと『勝利』に向かって自分の足で立っているこ
と。チームの一員として他のメンバーに甘えたり、寄りかかったりしない、大
人の集団であることが必須なのだ。

チームプレイの本質である「相乗効果」とは、一人前以上のプロフェッショナ
ルが集まった時にしか発揮されない。

「烏合の衆」の寄せ集めでしかない偽チームが行うチームプレイは、「助け合
い」ではなく「助けてもらい合い」でしかない。

そうではなく「自立」し、自分の食いぶちは自分で稼いでいる人間が集まった
時に、初めてたくさんの人を救うことができるのだ。
そして、1+1が3や5や10になるのだと思う。

だからこそ。僕たちはまず自分の足で立つことから始めよう。
一人で立てもしないうちから“ All for One ”「一人のために」と、「助け
られ合い」をするのは止めよう。

泳げない人は、溺れている人を助けることはできない。

まずは自分の足で「勝利」へと向かって立つ。
そして「相乗効果」を発揮して「勝利」をつかむのだ。

以上の異説には「勝利」をつかむための知見として、ある意味説得力はある。しかし、これはあくまでも異説であろう。その背後には、All for One を All for Win(Won)と読めば、「みんなは勝利のため」と解釈できる。このように英語から意訳すれば、平尾誠二氏の異説の根拠が発生する。だが、原典は上記のようなフランス語であるから残念ながら異説は異説であって、「みんなはひとりのため」という解釈が「誤訳」という根拠はないと言えよう。




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