16.Contro vent con vent!<コントロ ベント コン ベント>
(風に向って、風と共に)
故大平正芳元首相が生前に政局への姿勢を現すのに用いた言葉としてマスコミに披露された。「あくまでも本質を求めつつも、時には大勢に従うことも我慢しつつも本質を忘れず突き進む」の主旨。
「時流に逆らいながら、それを超える」とも。
この言葉はイタリアのピーサ大学教授で商法学者モッサ教授の愛用句であった。
文人宰相大平元首相が一橋大学において私淑された米谷隆三博士の好まれた愛用句であり、同博士の著書『企業法の体系』の巻頭言に掲げられたモットーでもあった。
(注)大平元首相は上田辰之助ゼミ(経済思想史)OBであるが、米谷隆三ゼミOB会(隆門会)の常連としてよく顔を出されていた由(喜多先生談)。
米谷隆三教授は戦後、公職追放により一橋大学を去り、弁護士・成蹊大学教授となり、あの名著『約款法の理論』(有斐閣、昭和29年初版)で学士院賞を受賞されている。この受賞は私法学者としてはわが国で最初の栄誉として伝えられている偉業であるが、昭和33年に59歳で早世された。
政治経済社会において、常に表面的な上っ面な事実に誤魔化されずに「本質を求める」(radical志向)スタンスが必須である。しかし、「本質を求める」ことは孤独な思考態度でありかつ人間的衝突を伴うことが多くある。
このような時に「本質を求めて=風に向っていきながらも、時には大勢に従いつつ、一歩後退二歩前進する」ことも人生の処世術として必要であろう。
小生もこの言葉によって幾度か救われた経験がある重要格言である。
この格言は、小生の一橋大学時代のゼミの恩師 喜多了祐教授から習得したものである。そして、喜多先生の恩師こそ、日本においてこの言葉を紹介した米谷隆三元一橋大学教授にほかならない。
写真左から 米谷隆三教授(1899年~1958年)・・・『米谷隆三選集』より
大平正芳元首相(1910年~1980年)・・『大平正芳回想録』より
喜多了祐教授(1935年~2006年)・・・『喜多了祐名誉教授記念号』(一橋論叢)より)
17.Eternal
now =永遠の今
この言葉も、読書家で文筆家としても知られ、「戦後政界屈指の知性派」と評された文人宰相大平正芳首相が好んで使われたものである。
田辺元先生によると「時間というものは、いつも現在であって、その永遠の現在こそは、常に未来を志向する力と過去に執着する引力との二つの相反した方向に働く力の緊張した相克とバランスの中にいわれるものである。」
「時間というものは今しかない。過去や未来は現在に働く力であって、時というものは現在しかない」(田辺哲学)
「現在は、未来と過去の緊張したバランスの中にあるべきで、このように努めていくのが”健全な保守”というものではないか」(大平正芳)
18.八つの新しいコンセプト
日本企業の競争力回復に向けての重要な切り口となる八つのコンセプト
①Politically
Correct
Actionー政治や社会の問題に敏感かつ的確に対応する。
②Empowermentー楽しく仕事できる環境をつくり、従業員に自覚とパワーを与える。
③Boundaryless
Organizationーストレートで即時のコミュニケーション網を構築する。
④Corporate
Governanceー企業を統治する存在としての従業員や地域社会を尊重する。
⑤Mental
Modelーメンタル・モデルの共有により、あらゆる状況に的確に対応する。
⑥Customer
Intimacyー個々の顧客ニーズに徹底的に応え、顧客と親密な関係を築く。
⑦Knowledge
Creationーフローとしての情報を、ストックとしての「知」に体系化する。
⑧Brand
Equityー顧客の信頼とロイヤリティをつかむ、資産価値の高いブランドを育てる。
自分の会社について次のように自問する。
①わが社は「もの言う企業市民」をめざしているだろうか。
②楽しく仕事をしているだろうか。
③社内にストレートなコミュニケーションが成立しているだろうか。
④企業としての良心を持って行動しているだろうか。
⑤危機管理のトレーニング・プログラムを実施しているだろうか。
⑥顧客と親密な関係を築いているだろうか。
⑦質の高い「知」を創り出しているであろうか。
⑧じっくり腰を据えたブランド・マネジメントを行っているだろうか。
ベスト・プラクティス企業の考え方
ベストプラクティスの企業は、Aグループのステークホ-ルダーが重視されてきている。
・従来の欧米企業は、Bグループステークホールダー主導であった。
・ROE(株主資本利益率)やROI(投資収益率)重視はCグループステークホールダーを最優先。
A ・地域社会
・従業員
・顧客 |
⇒ |
B ・株主
・債権者
・政府 |
⇒ |
C ・トップマネジメント
・取締役会 |
竹内弘高『ベスト・プラクティス革命ー成功企業に学べー』(ダイヤモンド社、1994年9月)より。
19.Be anything but dull
(退屈な人間だけにはなるな)
ハーバード大学大学院の卒業式でのルーデンスタイン学長の言葉。
”Try
very hard not to be dull. Whatever you do wth yourself, do your best
to be interesting
and to make your life
interesting”
(退屈な人間になぬよう、努力しなさい。将来どんな仕事につこうと、興味ある人物となるよう、また自分の人生を面白いものにするよう、全力をつくしなさい)
※松山幸雄(元朝日新聞論説主幹)『ビフテキと茶碗蒸しー体験的日米文化比較論』(暮らしの手帖社、1996年)より。
この言葉は、小生の一橋大学同期の友人 大塚清一郎氏(エッセイスト、元駐スウエーデン大使)から紹介されたもの。
そして彼の大塚氏がニューヨーク総領事時代にNBCテレビのインタビューされる際に、NBCのアンカーウーマンのジェーン・ハンセン女史から次のナレーションで紹介されている。
※大塚清一郎『キルトをはいた外交官ー笑いは世界をめぐる』(2008年、ランダムハウス講談社)
”Do
you think of diplomats as dull civil servants? Well, think again.
..........Seiichiro Otsuka is anything
but
boring.”(大塚氏は得意のバグパイプを吹いて、退屈な外交官ではないことを実証して見せた)
多才・多芸を心掛け、「笑い」や「ユーモア」をもって人生を歩みたいものである。
20.今、汝は画(かぎ)れり
論語の一節にある言葉。孔子が弟子の再求(ぜんきゅう)に言ったことば。
再求が言った、「子の道を説(よろこ)ばざるに非ず」。ただ「力足らざるなり」
先生の方法を実行するには、私の力量が不足なのです。
孔子は言った、「力足らざる者は、中道にして廃す。今、汝は画れり」
ほんとうにお前の力量が不足ならば、とにかくやって見て、途中で挫折して引き返すはずだ。お前の場合はそうではない。
「今、汝は画れり」:君は自分自身で自分の限界をはじめまから決めてかかっている。
人間はみな無限の可能性をもっているのに、つい自分で自分を限定してしまうことが多い。知らず知らずに、いろいろ理屈をつけて、「自分を画って」しまうことが多い。
自分の限界やこだわりを取り去って、自由な発想でSomething New、なにか新しいものを追い求めたいものです。
21.Cool Head, but Warm Heart
(冷静な頭脳と暖かい心)
かの著名な経済学者、J.Mケインズの師であり、近代経済学の祖と言われるアルフレッド・マーシャル (1842~1924)の有名な言葉。
マーシャルは、ロンドンの貧民街を歩き、その悲惨な状況に触れ、そのような貧困にいる人々のためにこそ、経済学を深めようと決意したと言われる。
「経済学を学ぶには、理論的に物事を解明する冷静な頭脳を必要とする一方、階級社会の底辺に位置する人々の生活を何とかしたいという暖かい心が必要だ」
小生の40数年間のマーケティング戦略の実戦研究のモットーは次の3点であった。
(拙著『実戦 損保マーケティング戦略』2005年、東洋経済新報社刊の”あとがき”参照)
①冷静なる頭
②情熱的な心
③汗にまみれた足
学生時代に学んだ、アルフレッド・マーシャルの”Cool Head ,but Warm Heart”と同じくゼミの恩師一橋大学名誉教授(1921~2006)喜多了佑先生の著作『経営参加の法理ーイギリスにおける「産業民主制」の新展開ー』(勁草書房、1979年刊)にて3回も使用された言葉”muddling through”(泥にまみれて切り抜ける)の二つのKeywardsに大きく影響をうけている。
22.invisible hand
(見えざる手)
経済学の父アダム・スミスの『国富論』(1776年刊)の第4編第2章に出てくる言葉。古典的自由主義おける市場仮説を指す。
『国富論』には1度しか出てこない言葉であるが、非常に有名になっている。
・・・he
intends only his own security; and by directing that industry in
such a manner as its produce
may be of the greatest value,
he intends only his own gain ; and he is in this, as in many
other
cases, led by an invisible hand to promote an
end which was no part of his
intention.
(人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、たとえば「莫大な利益を生み出し売る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手よって導かれた結果なのである。)
『国富論』発刊より17年前に出版された『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)にもすでにこの invisible
hand の言葉が使用されている。
『国富論』の原題は次の通りである。
An inquiry into the
nature and causes of THE WEALTH OF
NATIONS
<THE MODERN LIBRARY New
York版、B5版976ページの大著、1963年4月30日1,080円にて購入>
かつて小生は一橋大学前期のサブゼミで種瀬 茂 助教授(後、学長 故人)の原書講読ゼミで、この『国富論』の講読を1年間した経験がある。
当時の種瀬先生は、夏休みに我々2年生のゼミテンに宿題を課された。
「アダム・スミスに関する著作の一つを論評せよ」(400字原稿用紙20枚程度)
・ただし、自分の考えを述べよ
・著者の考えに反対であるか否か、その理由と自分の主張をのべよ
・内容を要約してはならない
15名ほど在籍していたゼミテンは夏休み終了後、レポートを提出した。1ヶ月ほどしてから種瀬先生から丁寧なコメ ントが付されて返却された。
大抵のゼミテンは『道徳情操論』(現在では感情論と訳されている)か『グラスゴー大学講義』(法学講義)の解説書等いずれかを論評?したはずである。(小生は後者の著作をテーマとした)。
ところが、レポート返却時、先生から次のような暖かい心のこもった厳しい叱責をいただいたことは忘れ得ない教訓として思い出される。
①諸君は、本のタイトルの記載の仕方すら理解していない!
(『一橋論叢』を読んで研究せよ。単行本と論文では引用の仕方が異なることすら判っていなかった)
②宿題は”論評せよ”と言ったはずであるが、諸君のレポートは要約・引用が多くて、自分の考えが極めて少ない。
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