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 Keywords & Topics No6

31.残心(ざんしん)

日本の武道および芸道において用いられる言葉。心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技を終えた瞬間に動作が終わるのではなく、持続性(余韻を残す)を持たせるといった日本の芸道や美学・禅と関連する概念である。

(1)剣道でメン(面)を取っても、心が乱れ姿勢も乱れた状態であれば、残心がないとの理由で有効打突にならずにメンが取り消されることがある。メンを取られて力を失ったかに見えてもそれは擬態である可能性もあり、油断した隙をついて反撃が来ること有り得る。それを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが残心である。

剣道の試合において一本取ったことを喜ぶ様(ガッツポーズなど)が見受けられれば、驕り高ぶっていて残心がないと見なされ、一本が取り消されることがある。

(2)弓道における残心は、矢を射った後も心身ともに姿勢を保ち、目は矢が当たった場所を見据えることと言われている。

(3)茶道における残心:「客が退出した途端に大声で話始めたり、扉をばたばたと閉めたり、急いで中に戻ってさっさと片付け始めたりすべきではない。主客は、帰っていく客が見えなくなるまで、その客が見えない場合でも、ずっと見送る。その後、主客は一人静かに茶室に戻って茶をたて、今日と同じ出会いは二度と起こらない(一期一会)ことを噛みしめる。この作法が主客の名残惜しさの表現、余情残心である。」
(井伊直弼『茶湯一会集』)

(4)武術における残心は、あくまで身構えに対する心構えの一つであり、、流派によっては、前心・通新・残心を説くものもある。
また、剣道・大相撲や本来の柔道の精神として「礼に始まり,礼にて終わる」との所作がある。

(5)サッカーでシュートして得点した選手がサポーター等に向かって誇らしげに走り回るパーフォーマンスは好きではない。なぜアシストした選手に感謝するために抱き合わないのか?!アシストした選手と仲間の選手と喜びを分かち合ってから、サポーターに感謝の表現をすべきではないのか?

(6)ラクビーでトライした者は本来ガッツポーズはすべきではない。最近はつい感激のあまりそのような行為をするケースも散見される。(参照=Keywords & Topics No2  15.One for All, All for One)

(7)大相撲も勝ってもガッツポーズはせずに、相手を尊重して正に「礼に始まり、礼に終わる」武道精神を継承すべきであろう。








<上記写真は65歳を過ぎてから始めた小生の剣舞披露である。>

(1)高校時代は剣道とラクビー

部活は3年間剣道部、体育は3年間ラクビーであった。都立豊多摩高校(旧制府立13中)は伝統的にかの有名な西山常夫先生(昭和26年~43年まで豊多摩高校勤務、後に東海大学教授、大学ラクビー選手権等の決勝戦などで主審を務められた)に男子は皆ラクビーの薫陶を受けた。

(2)大学4年時に詩吟開始

当初は通学・通勤の最寄駅中央線高円寺駅近くの”詩吟如水会”で吼山流を学ぶ。退職後は地元の”燈照吟詠会”で神風流をまなぶ。

(3)詩吟の修練に加え65歳より念願の剣舞を開始

かねてより剣舞を習得したいと念願していたが、剣舞道場が見つからず時期を待っていたがやっと実現。現在は多忙につき道場通いは中止中なれども、習得した技は披露する機会を持っている。


32.守 破 離(しゅ・は・り)

「守破離」とは、能楽を確立した世阿弥の教えで、最初は”基本”を忠実に守り、次にそれを”応用”し、最後は”型”から離れるという、その道を極めるための成長段階を示した言葉。

原典に関しては諸説あるが、その精神は「世阿弥の『風姿花伝』にある”序破急”」に根底があるといわれる。その後、千利休が歌を詠み、川上不白が『茶話集』や『不白筆記』で書にあらわしたようだ。

能の世界から、柔道・剣道・空手・合気道等の武道、書道や水墨画などの稽古事・茶道・華道・舞踊・彫刻・歌舞伎といった伝統芸術の世界で語り継がれている。
今や、スポーツやビジネスの世界でも広く応用され活用されている言葉である。

①守・・・・・ひたすら教えを守り、基本の型・定石を学ぶ段階(基本の習熟)
②破・・・・・守の殻(基本の型)を破って応用する段階。基本を発展させ、独自の手法・型を作り上げる段階(真意の会得、応用の段階)
③離・・・・・型にとらわれず、自由に、思うがままに考え、自然に身を置いて行えば最高のパフォーマンスが実現できる段階(自在の境地、創造の段階)


我がマーケティングの分野において人財養成の基本戦略として、この守破離の思想を活用している。環境が変われば、一から再度”守破離”の成長段階を歩む。”守破離”→”守破離”のサイクルを回すことににより、また一段と大きく成長することができる。

どんな世界においてもプロフェショナルとして成果をを実現する人は、上記の守破離の成長段階を踏んでいるであろう。
ノーベル賞受賞者もスポーツ界の天才と言われる人もビジネス界での成功者などもほとんど全ての人たちはこの成長段階を経ていると思う。

世に天才と称されている”天才”達もこの過程を通過しているであろう。

組織の中の人材は、金太郎飴のごとく同じ発想しかできない同質ばかりの人々ばかりでは組織は沈滞し活性化できない。本物の異能・異端児(守破離を経験した者)はイノベーションのために必須である。

ただ、守もなく、破もなく、〝離”丸出しの”一見天才もどき”の人材は、単に異能・異端児として目立っているだけで、世の中に何らの成果、貢献を残さない手前味噌の世界の人物に過ぎない。

先日、NHKラジオのインタビュー放送で歌舞伎のさる名優が「型破りは良いが、型無しはダメ」とそれとなく発言していた。まさに、守・破・離の極意を表現していたのであろう。


33.nevertheless(~にもかかわらず)

デフレ不況「にもかかわらず」大きな収益を上げた。

小規模「にもかかわらず」大きな組織とのコペティションで勝利した。

オリンピック開催地の有力候補がいた「にもかかわらず」我が国が勝ち取った。

裏切られることのみが多い「にもかかわらず」愛を捨てない。

中東平和は闇の中である「にもかかわらず」希望を失わない。

EU統合は時期尚早と言われた「にもかかわらず」EU発展に寄与した。

中央官庁の官僚が反対した「にもかかわらず」筋をとおしてプロジェクトを完遂させた。

難題・課題等がある「にもかかわらず」neverthelessという逆説的な意味で使い、後文では驚き・意外な気持ちなどを表すことが多い。現状・問題を放置せず、果敢に課題解決に立ち向かうaggressiveな姿勢・意気込みを示すキーワードである。

この言葉は前職の住友海上(現三井住友海上)元社長 徳増須磨夫氏から学び薫陶を受けたものである。住友海上の中興の祖とも言える徳増社長は名経営者を超えて文化人・哲学者ともいうべきスケールの大きい社長であった。

現状に満足せず、常にsomething newを求め、イノベーションを強力に推進した。負けん気の強い人であった。前にランナーがいる限り、常にneverthelessの精神で徹底したイノベーションを要求された。多くの社員がさらにもう一歩の成長発展を遂げていった。

その徳増氏が後に次のとおり述懐されている。

「希望、信、愛これらが人間の徳として真価を発揮するのは「にもかかわらず」と、合理的な思考に逆らう非合理な世界である。それは一方において、想像力を育む土壌であるといえないか。非合理だからこそ創造が生まれる。「にもかかわらず」と肯んじないことが創造につながる。希望や信念や愛が、ときとして不思議な力となるのも、創造する力をともなうからであろう。」(徳増須磨夫『夢に日付を』P100)

therefore(~だから)ではなく、nevertheless(~にもかかわらず)で!


34.next one

今までで最高の成果はなにか?過去の最高傑作がベスト・ワンか?過去の最高傑作がナンバー・ワンか?

①喜劇王チャーリー・チャップリンは、多くの映画に出演し監督もした。弟子が「チャーリーさん、あなたがこれまで作った映画の中で、最も傑作だと思っているのはどれですか」とたずねたら、チャップリンは答えた。
「おお、良い質問だ。それはnext oneだよ」と。


②101歳で亡くなった奥村土牛画伯は、たくさん富士山を描いていらっしゃるが、「土牛先生、お描きになtった富士山で、一番のお気に入りどれですか」と聞いたら、「いやあ、全部不満じゃ。今度描くのにしたい」と答えられたそうだ。
(以上二つのエピソードはマーケティング専攻の慶応大学教名誉授村田昭治氏による)。

芸術家、文学者や超一流のスポーツ選手等は過去の最高傑作や最高記録に満足していない人物が多い。ネクスト・ワンをめざす限り、一つひとつが創造であり、その創造は無限に続く。次の最高傑作や次の新記録への挑戦意欲を持っている。

今週8月20日(2013年)に米国NYヤンキースのイチロー選手が日・米通算4000本安打記録を達成した。しかし、イチロー選手は喜びよりも、「4000本安打を打つ一方、8000回の悔しい思いをした」と語っていた。現状に決して満足せず、ネクスト・ワンを求める不屈な精神力の持ち主である。

昨日より今日、今日より明日と常に「next one」(ネクスト・ワン)の精神を持つことが成長発展の原動力となる・


35.青春とは?


青春とは人生のある期間をいうのではなく、、心の様相をいうのだ。

Youth is not a time of life, it is a state of mind.


たくましき意思、優れた創造力、燃ゆる情熱、怯懦をしりぞける勇猛心、安易をふり捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

It is a temper of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotion, a predominance of couage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease.

年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。

Nobody grows old by merely living a number of years; people grow old only by deserting their ideals.


人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

希望のある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

You are as young as your faith, as old as your dout;

as young as your self-confidence,as old as your fear,

as young as your hope, as old as your despair.

記の詩は有名なサムエル・ウルマンの詩「青春」の一部である。(1945年12月号の『リーダーズ・ダイジェスト』版による)

*サムエル・ウルマン(1840~1924):幻の詩人とも言われた。戦後連合軍の最高司令官として我が国に駐留したマッカーサー元帥が愛唱し、自室に掲げていたともいわれる。戦後日本の財界人に好まれてビジネスの世界で普及した。米国内ではウルマンを知る人は少なかった。米国よりも日本で有名な詩人。(宇野収・作山宗久『「青春」という名の詩』産業能率大学出版部、1986年)

上記には『リーダーズ・ダイジェスト』版の抜粋を掲載したが、以下には1920年、80歳の誕生日に家族がウルマンの詩集『80年の歳月の頃から』(From the summit of Years, Four Score)を自費出版した。その中のoriginal版を掲載する。

                 Youth   
                                 Samuel Ullman

Youth is not a time of life;it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks,

red lips and supple knees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of

the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite, for

adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a
boy

of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow by deserting our ideals.

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry ,fear,

self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing

child-like appetite of what' next, and the joy of the game of living. In the center of your heart

and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope,

cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of

pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch

the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

Cotributed by Wayer U. Newfield
birmingham, Alabama.


「青春」の詩、オリジナル

           青 春

                                サムエル・ウルマン

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱

をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易をふり捨てる冒険心を意味する。

ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。

理想を失うときに初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、

精神は芥になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、

人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・喜悦

勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、20歳であろうと人は老いる。

頭(こうべ)を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。

                                  作山宗久 訳
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